こんにちは。tkgです。
前回の続きです。
前回は救急車に乗った時点で記憶がなくなったところまででした。
はい!9日後ですね!ww
本来は笑えないですけど、ICUで9日間は意識ない状態でした。(ICU=集中治療室ですね。)
ここからは、筆者の記憶の齟齬が強いので、
私自身の目線と家族・お医者さんに聞いた事実を合わせて、時系列順に記載していきます。
ICU看護師さんがICUのダイアリーも作成(せん妄防止)してくれていたので、ダイアリーも参考に。
時系列
- 10/14(木)
深夜搬送病院にて問診急性心筋炎の症状のためICUに
- 10/14(木)
お昼前強心剤投与で安定この時に親とおばあちゃんが面会に(連絡事項伝える)
- 10/14(木)
面会後急に容態悪化で心臓とまりかけるECMOと人工呼吸機を装着
- 10/18(月)血管からの出血により緊急手術
心臓の動きもよくなっており、ECMO等の機器を外す
- 10/22(金)人工呼吸器も外す
この時に意識が戻った状態
- 10/24(日)一般病棟に移る
この時が人生で1番しんどく諦めの境地に
ざっと見た流れですと、こんな感じですね。
私的には10/22(金)が1日目だと思っている状態です。
では、順々に説明していきます。
緊急搬送後からの経過観察
緊急搬送後(記憶なし)
緊急搬送後は比較的大きい総合病院に運ばれました。
運ばれた際には看護師さんとの問診をしていたらしく、
「息ができない」「お腹が痛い」等の症状も伝えている。
また、「コロナ感染経験」「ワクチン接種」での症状も伝えていたので、
同時にPCR検査も実施していたそう。
症状説明から色々検査実施後に、急性心筋炎の疑いでICUに運ばれ、
強心剤投与でお昼ぐらいまで落ち着いていたそうです。
この時の検査時点では、
血圧が上で70くらいで、ほとんど心臓が動いていなかったと後々説明を受けました。
容態急変(一部記憶あり)
連絡先も辛うじて伝えてたらしく、
連絡取れ、昼前くらいに親やおばあちゃんが駆けつけたとのこと。
この際に、会社への連絡をしてもらうように依頼。
また、美容室予約してたのをキャンセル入れてもらうように言っていたそう。
(ヤバい状況なのに美容室のキャンセルを無意識でやってたらしいです。)
このあたりはなんとなく覚えていたが、いつの時点での話かはわかっていない状態でした。
面会終了後に、記憶にあるのは
ベット(背もたれを上げている状態)で急に意識なくなって、パッと戻った状態を覚えていますね。
(先生が「大丈夫ですか!?」と駆け寄ってきた場面も、かすかな記憶に)
それが数秒なのか、それより長い状態なのかはわからないですが、
その後急遽、手術へ。
当初は、人工呼吸機やステロイドの薬等で治療できるらしかったが、容態悪化。
術後(記憶なし)
はい。びっくりでしたね。。首から腕から色んなところで管だらけ、機械だらけです。
今見てもゾッとします。
急に心臓の動きが悪くなったので、ECMO装着と人工呼吸機の治療に切り替え、
心臓を休めるとのことでの機械だらけです。
ECMOは最後の砦と言われるくらいの
ものらしく、
またECMO装着にも高度な技術が必要
かつ、24時間体制でのケアも重要とのこと。
ECMOはコロナの重症者患者に使用されるとのことで有名になりましたね!
簡単には人工心肺装置みたいです。
一般病棟に移って、手術の跡があったことで切られてることを初めて知りました。
太ももの付け根から管を通してたそうです。(痛いの嫌なので意識なく良かったと)
この装置にて心臓を休めて回復を待ちます。
5日を目処に回復してこなかったら、最悪は心臓移植になるかと。
という風に言っていたそうです。。
(家族からしたら溜まったもんじゃないですけど、私の場合は何も知らない無でしたね。)
経過観察期間(記憶なし)
24時間体制で体拭き・着替え・まして歯磨きまでもケアしていただき、看護師さんには
ほんと頭が上がらないです。
安定期(記憶なし)
10/18(月)の5日目に太ももの付け根の管部分で出血したので緊急手術。(5時間くらい)
この時の家族の証言からは、
急に手術しないとで病院に行き、出血があることや、
大量の機械と大量の輸血パックと共に運ばれる姿で気が動転したとのこと。
4mmの血管を縫ったり・カテーテルにてステントという金属を
太ももの付け根部分に埋め込んだらしい。
この時に心臓の動きも良くなっているので、ECMO等の機器を抜いたらしいです。
この後は8日目まではこんな感じですけど、全く覚えてなかったです。
ここまで筆者の記憶ないところでのやり取りを記載してきましたけど、
この後は覚醒してからのお話となります。
少し長くなりましたので、次回の記事にてお話させていただきます。
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